笠原山銀河寺不動院の来歴を、史料に基づいて年代順にまとめました。(調査・整理:笠原町中組 豊田洋一/2026年5月21日)

笠原不動別当之事ニテ、浅草学頭より下文一通あり「払沢不動」と記述(笠原不動)
多寶院は別当職ヲ止ラレ、時ノ住持甚憤リ、夜中笠原不動へ忍入、本尊幷宝剣ヲトリ
来タリ、多寶院ニ安置ス
藩侯の笠原田狩 公(頼房)笠原山田狩 不動堂の埒四十五間ヲ破
テ猪鹿ヲ此中ニコメテ軽率をシテ鳥銃一時ニ連放セシム
正保2年(1646) 銀河寺と隣接地の芝付御訴訟(未確認)
笠原山銀河寺不動院は薬王院直末の寺との記録
笠原水道事業の調査を望月恒隆に命じ、恒隆は設計を郡奉行平賀保秀に命じた。
平賀は笠原不動へ一昼夜参籠、祈願してこの場所を水源地に決めた。
薬王院末寺笠原山銀河寺 米澤新田 天台宗吉田山末寺 1、本尊者不動 年九敷就
御座候 開基知不申候・・・
・当屋式拾七年巳前、芝付御訴訟仕従御評定所 被下候・・・ 1、旦那拾五人
漱石所完成(8月就藩、12月出府)
これ以降「漱石山銀河寺不動院」と呼ぶ者あり
漱石所御取立御茶屋掛りける頃、不動堂をも今の地に被為曳しにや。不動堂建立の地
は笠原の地と見へたり。
寛文、延宝の境ひ、此には薬王院の閑居を被居置、御茶屋をもかの閑居へ御預被指置
ける由。
薬王院仁王門を東面に曳家す
光圀は笠原山に5つの御禁制を示される ※天和2年10月就藩、天和3年8月出府
薬王院住職「光海」の法嗣「光昌」が銀河寺中興開山第一世となる ※元禄九年没
「十二月二十五日、世子笠原山田狩諸士従装甚盛ナリ」の記述 ※世子=綱条
薬王院本堂を改修し東面に変更 (光國この年4月就藩、11月出府)
奉上手水盤寄進 (水源地上の不動堂跡地)
不動院「天台宗、吉田薬王院末、漱石山銀河寺ト号ス」は享保の19年の誤記か
「薬王院扁額」を青蓮院(京都東山粟田口)より拝領す。
徳川光圀西山荘へ隠居(元禄3年11月29日江戸発12月4日水戸帰着)63歳
10月14日藩主退任、翌15日権中納言に叙任
「時の和歌」
おくやまの 苔の下なる 朽木にも 花のさくべき 時は来にけり
五言俳律の漢詩【夏日遊玖利伽羅山銀河寺林中即興得池字】 を詠む
権大僧都法印光昌入寂され、不動院境内梵林に葬られる
薬王院が天台宗関東檀林寺に認定の上、青蓮院の直末寺となる。
徳川光圀薨去(73歳) 生誕 寛永5年6月10日(1628年7月11日)
光圀亡き後不動谷の漱石所取り払らわれる。
不動院落慶す。再建を慶す薬王院住職「良然」
享保13年(1728年)の7月に完成 当時の住職が深く憂い、鐘を募金で寄進し、修
理を願い出た
不動院の吊鐘堂(鐘)落慶? 「天台宗、吉田薬王院末、漱石山銀河寺ト号ス」除地
境内、貞享19年鐘銘伝、笠原山銀河寺、在水戸城南笠原巴、号不動院号す・・
智運が薬王院入山
「智運」笠原山銀河寺不動院住職に就任
笠原山銀河寺本堂消失(伝落雷) ※天明の大飢饉(1782-1788)
古学庵仏兮が銀河寺住職となる 本名:源良範 京都出身
水戸藩俳諧の先駆け(時に27歳)
古学庵仏兮入滅 母を伴ない叡獄に赴く途中甲斐鰍沢で母子共に溺死(行年36歳)
笠原不動堂再建(吉田山不動院) ※水源地坂上の御堂のため建立
「浴徳泉の碑」建立。九代藩主斉昭の題字、碑文は藤田幽谷にて選び、宇留野静巷の
書による。浴徳泉の命名は八代藩主斉脩。
水戸藩庁により「藩内寺院に梵鐘を納入せしむる」も吉田山薬王院は独りこれを拒
み、上野寛永寺に訴う(濡仏・撞鐘徴収策)
天保の改革(烈公斉昭)不動院を廃寺して其処に「水戸神社」を祀る。
※寺社奉行へ村方願(無住村方願)不動院・薬王院は廃寺 ※筑波根おろし
※笠原住民により不動尊ご本尊を秘匿(伝承)
水戸神社を北側に移転し不動堂内に「倶利伽羅不動の扁額」身替不動の奉納
水戸藩第十代藩主「慶篤」の命により薬王院廃寺からの復興なる。
大老井伊直弼により井伊政治に批判的であった公卿,大名,幕臣,志士などに対して
おこなった弾圧
徳川斉昭 国許で永蟄居の後亡くなる
神仏判然令布告(仏教を排撃し,神道を極度に重んじようとする廃仏毀釈運動)
水戸神社を水神として(不動山)に再遍座される。
伝落雷により銀河寺本堂を焼失し灰燼に帰す。同時に住職入滅
笠原山不動院共有墓地連名簿の提出(県知事 安田定則宛)
笠原山不動院石碑建立
寄進者名を一部削り取られた痕
不動院山門石柱建立
不動尊の例祭に当り神輿は2月の例祭時のみとし、8月の神輿巡行は中止にする
(米澤氏子と協議決定す)
不動院御田植祭(旧暦6月27日)開催 ※この年より例祭は年一回開催を申合わせ
碑文建立 :吉田山薬王院住職第八十一世権大僧都純宗謹書
土地登記:不動山994番1 地積:2128㎡ 地目:境内地
所有権:水戸神社 原因:贈与(昭和24年11月25日)
過去に不動明王ご本尊を不動堂に戻すも盗難被害に遭った事から
管理を円通寺に委託する(関連文書無し)
笠原不動堂及び水戸神社の再建なる(再建委員会有志による)
笠原不動山管理者として長年行ってきた草刈奉仕作業は翌年から中止する旨、水戸神
社宮司(板橋隆四朗氏)に申し入れる(笠原会館にて)
不動山所有者でない事、当時管理者であった笠原不動院檀家に事前説明が無かっ
た事、建設以降管理が行われていない事などを理由とする
圓通寺悉皆調査にて出自不明の不動尊を調査(報告書あり)
高倉住職にご説明戴き「不動明王は笠原氏子中からの預かり物」旨を確認・記録
歴代の子安神社氏子総代が管理する「送り箱」中に笠原不動尊の版木並びに梵字印等
を発見・計測記録表を作成
不動院墓地の基礎資料の作成(井坂伸・清美氏親子) 資料の整備(配置・名簿)とデジタルデータ化(2025完成) ※約300基
不動堂の老朽化に伴う倒壊の危険性が指摘され、市民有志の寄付金で解体整地
全国TV放送などで笠原水道周辺の整備不良の問題が市民の関心を高めたが・・
水戸神社所有地に仏堂(不動)が存在、建物所有者が不明(未登記)、緑地公園地区など権利が複雑で、行政が介入できない状況であった
水戸円通寺住職 高倉克宗様より不動明王立像御本佛をご返却頂く
氏子総会の総意を経て豊田が全権委任を受ける
仏像修復師 飯泉太子宗氏による修理が完成する(桜川市)
文化財審議委員 専門委員による不動明王立像の確認
「水戸市未指定文化財登録制度」の指定を視野に活動
笠原水道・銀河寺にまつわる詩を表示
(1)【水府地理温故録・水府史料】元禄五年夏(1692)
五言俳律の漢詩【夏日遊玖利伽羅山銀河寺林中即興得池字】 光圀公の詩
憶曾遊此地 ー夢十周朞 不動威厳矣 軽雷聲殷其 雨晴炎暑退 風快積雲披
漱石堅人歯 臨流洗我詩 飛泉清遶座 傾海酔揚巵 瀉下銀河水 漚涼無熱池
(大意)
かつてこの地に遊ぶを思ふ 十年一昔は夢のように過ぎた 不動の威は厳かに感ずる。
かすかな雷鳴が時折聞こえ 雨があがり炎暑が退き風が快く積雲は抜けてゆく。
孫楚漱石ではないが 我は詩で流そうなどと考える 泉の水は座の周りを清らかに流れる
海を傾けるがごとく飲んで 酔って杯を揚げるとは何と楽しい事よ。
勢いよく銀河の水が注がれ ここは涼しきこと この上ない阿耨達池のようだ。
常盤公園覧勝図誌(坤)明治十八年十二月刻成(1929)
(2)戸牧久衛門の詩
志けりあふ
笠原山の下露は
かかぬ時雨の 阿芽にも
まされり
戸牧久
(読み)
繁りあふ 笠原山の下露は かかぬ時雨の 雨にもまされり
(現代語訳)
青々と生い茂り重なり合っている笠原山。その木の下に置く露は、空から降ってくるわけでもないのに、まるで本物の時雨の雨よりも、袖を濡らすほど激しいものだ。
(3)安積澹泊(覚兵衛/角兵衛)
【妙法瀑布】
妙法瀑布 瀑泉穿石落 池水入湖流 橋影隨波動 經聲入竹幽 白雲簷際宿 青靄座間浮 欲問瑜珈教 鶯啼楊栁洲 安積澹泊
(大意)
激しい滝の水が岩を削るように流れ落ち、
池の水はそのまま湖へと注ぎ込む。
橋の影は水面の波に合わせて揺れ動き、
お経の声は竹林の奥深くへと静かに響いていく。
白い雲は軒先にゆったりととどまり、
青みがかったもやは座っているあたりに漂っている。 「瑜珈(ヨガ)の教えとはどのようなものですか」と尋ねてみようとすると、
ウグイスがヤナギの茂る中州で鳴いていた。
(4)笠原紅楓 「水戸八景(元禄の八景)」 詠人:安積澹泊
樵唱牧笛、聞于南岸、倚門而望、則風霜揺落 之晨
紅楓暎錦、此笠原之勝槩也
(読み)
きこりの歌う声や牧童の吹く笛の音が南の対岸まで聞こえてくる。門に寄りかかって遠くを眺めれば、風が吹き霜が降りて木々の葉が落ちるような肌寒い秋の早朝、紅葉(紅楓)がまるで美しい錦(にしき)のように鮮やかに映え輝いている。これぞまさに、笠原の素晴らしい絶景(勝槩)である。
(5)「笠原」 詠人:清水谷大納言實業郷
もみち葉の雨とふるなり笠原にかくれかねてや牡鹿なくらむ
(読み)
紅葉の葉が、まるで雨のように降ってくる笠原の地で、 もはや隠れきれなくなった
のだろうか、牡鹿(おじか)が鳴いていることだ。





