天保の飢饉という名の人災が、日本の風土を根底から腐らせていた時代の話である。常陸国久慈郡磯部村の重苦しい空の下、一人の医師が蘭学書と向き合っていた。男の名は岡玄作。彼は学問の真理を探究する者であったが、その理性の光は冷徹を極め、血肉の通う我が子の命さえも、一個の観察標本としてしか見ていなかったのかもしれない。
飢えと不衛生が全国を席巻する中、赤痢や麻疹、そして恐ろしい疱瘡(天然痘)が猛威を振るっていた。玄作はある日、手に入れた蘭学書の中に異様な記述を見出す。「疱瘡の患者に青魚を与うれば、その病、極まりて死に至る」。その真偽を確かめんとする狂気的な知的好奇心は、事もあろうに高熱にうなされる実の息子二人へと向けられた。
長男には鯖を、二男の福次郎――のちの扇歌には鰯を。
食卓に並べられた青魚の皿が、兄弟の運命を決定づける地獄への引き金となった。青魚の毒が回った長男は、高熱の中で両の瞳から光を失い、呻き苦しんだ末に息絶えた。一方、一命を取り留めた福次郎もまた、右眼の視力を完全に奪われ、左眼もかろうじて光を感じる程度の「半眼」という重い障害を負うこととなった。ノートに無機質な観察記録をつけ終えた玄作にとって、傷物となった二男はもはや不要の存在であった。
片方の視界を永遠の闇に閉ざされた少年は、間もなく家を追われ、他家への奉公へと出される。半眼の身ではまともな農作業も職人の修行も叶わない。世間の冷ややかな嘲笑と差別に晒される日々の中で、福次郎の心には実父への激しい怨念と、死んだ兄への哀悼、そして世の理不尽に対する深い失望が黒々と澱のように溜まっていった。
だが、暗闇の中で生きていくことを強いられた福次郎には、天より授かったたった一つの武器があった。生まれついての類稀なる美声と、圧倒的な音感である。
「この半目の身体で生き抜くには、芸を売るしかない」
福次郎は三味線ひとつを背負い、泥水をすするような気持ちで諸国巡業の修行旅へと身を投じた。北へ南へ、足が棒になるまで歩く旅路。旅芸人の唄う街頭の歌、船頭の口ずさむ舟唄、各地に伝わる古い民謡や流行歌……。福次郎はすさまじい執念でそれらを聴き取り、自らの体内に吸い上げていった。
昼間の光が眩しすぎる半目の眼を細め、三味線の糸を叩くように弾く。彼の胸の中で、各地の民謡の旋律と自らの血の滲むような情念が混ざり合い、研ぎ澄まされていった。そうして削ぎ落とされ、七・七・七・五という完璧な音数律へと昇華されたもの――それこそが、のちに江戸の町を熱狂させる「都々逸」の誕生であった。彼が編み出した旋律が、単なる色恋や軽妙な洒脱にとどまらず、どこか影があり、人間の哀しみや世の不条理を深く抉る「狂歌」と評された真因は、まさにこの凄惨極まる生い立ちの中にあったのである。
やがて江戸へ上り、「都々逸坊扇歌」と名を改めた彼は、寄席の高座に立つや否や爆発的な人気を博した。あまりの人気に周囲の寄席から客が消えたと言われ、「八丁あらし」の異名をとるまでになる。
「たんと売れても売れない日でも 同じ機嫌の風車」
「売れようが売れまいが、俺は自らの風で回るだけだ」という投げやりな粋。その裏に潜む壮絶な過去を知らぬ江戸っ子たちは、その美声と鋭い風刺に惜しみない大喝采を送った。
彼の名声はついに城郭の重い門を叩き、加賀百万石・前田家の江戸藩邸へと招かれるに至る。威風堂々たる大広間、殺気立った武士たちが居並ぶ中央で、加賀の殿様は下座に控える半目の扇歌を見下ろし、難解なお題を投げかけた。武家の嗜みである歴史書、『吾妻鏡』である。
「これで七・七・七・五を詠んでみよ。できねばタダでは返さん」
並の芸人ならば恐れをなして平伏するところ、幼少期に人間の真の地獄を見てきた扇歌にとって、武士の威圧など痛くも痒くもない。扇歌は半目の眼を細め、ニヤリと笑うと三味線のバチを力強く振り下ろした。
「上はかね(金) 下に杭(くい)なし 吾妻橋」
大広間が凍りついた。『吾妻鏡(あづまかがみ)』を江戸の『吾妻橋(あづまばし)』と掛け合わせた見事な即興。しかし、この歌の神髄はその先にあった。「上はかね」は橋の欄干の豪華さと、幕府や権力者など「上の者」が金銭にまみれて腐敗している様を告発し、「下に杭なし」は橋の構造と「下にいる貧しき庶民は食う(杭)ものもなく餓死している」という世相への痛烈な毒を秘めていた。
天保の大飢饉で自分たち兄弟が見捨てられたように、権力者は常に庶民を見捨てる――。命をかけた風刺に家臣たちは刀の柄へ手をかけたが、殿様はその胆力と圧倒的な芸に破顔一笑し、お咎めなしと相成った。
しかし、光は長くは続かない。天保の改革という名の圧政の嵐が吹き荒れると、お上を風刺し続ける扇歌は危険分子とみなされ、ついに「江戸十里四方追放」のお裁きが下る。
最愛の舞台である寄席を奪われ、江戸を追われた扇歌が行き着いたのは、常陸国府中(現在の茨城県石岡市)にある実の姉の嫁ぎ先であった。狂気の父の犠牲となった弟を可哀想に思う姉は、傷ついた扇歌を温かく迎え入れた。しかし、高座という唯一の光を奪われた扇歌は、昼間から酒に溺れ、痩せ衰えていく。
「磯部田んぼの ばらばら松は 風も吹かぬに 気がもめる」
地元の呑み屋で三味線を頼まれれば、故郷の風景を歌ってみせるものの、かつて江戸を揺るがした覇気はどこにもない。扇歌にとっての高座とは、失った視界の代わりに手に入れた唯一の「生の証明」であり、我が身の闇を笑いと歓声で包み込んでくれる唯一の神殿であったのだ。
嘉永五年、長年の酒と心の傷が体を蝕み、四十九歳の扇歌は病床で最期の時を迎えようとしていた。実姉が看病する枕元で、うなされる扇歌は細く痩せこけた腕を空へと伸ばす。
「お姉さん……三味線を……俺の三味線を取ってくれ……」 「ダメだよ扇歌、そんな体で三味線なんて……」 「頼む……一節でいいんだ……! もう一度だけでいいから、江戸の高座に上がりたいんだよ……!」
落ち窪んだ半目の眼から涙をぼろぼろと溢れさせ、彼は泣き叫ぶように訴えた。 「おいらの都々逸を……おいらの狂歌を待ってる客がいるんだ……! 父上への恨みも、世間の冷たさも、全部歌に変えて……もう一度だけ高座で歌いたいんだよ……!」
「高座へ……高座へ……」と呟きながら、彼はついに帰らぬ人となった。
父の狂気によって片目の光と兄を奪われ、世間の冷酷さに晒されながらも、その泥の中から生まれた「都々逸」。扇歌が残した七・七・七・五の調べは、単なる色恋の俗曲ではない。理不尽な世界に痛めつけられたすべての人々の哀しみを救う、魂の告発であり、絶唱であった。
彼が去った今も、風が吹くたびどこからか、半目の天才狂歌師が弾く切なくも力強い三味線の音が、遠い闇の彼方から聞こえてくるようである。